心模様

判事(judge)

ガベル

皆さんは、他者に対してどんな判断を下してしますか?

この人はこういう事するからダメな人。

この人は、こんなことをしてくれるからイイ人に違いない。

私は、そんな風に人を見てきました。(無自覚)

これがどれだけ自分の首を絞めてきたか今なら理解できます。

わたしの基準

特に私にジャッジ癖が出るのは仕事の時でした。

仕事以外の場面では、それほど人を批判的にみることはありません。

ですが、仕事となると話は別でした。

「仕事できない人=人間的にもダメな人」っというレッテルと無意識に貼っていました。

これは母から「仕事しない者は食うべからず」とよく言われていたことから、刷り込まれた現象だと今考えれば思います。

この言葉は、私の中で「仕事」という存在を過度に大きくさせていきまいした。

このように他者からの言葉は、自分の心に住み着く現象は多々あります。

そこに気づけるか気づけないか、それが分かれ目なんだろうと思います。

そんなこんなで、私は仕事の場においてこのように人を浅はかにも判断していました。

ジャッジは自分の首を絞めるだけ

すると、他者をそのようにみているので私も仕事ができないとダメだ!と必要以上に責任を感じたり、ミスを恐れるようになっていきました。

少しでもミスをすると「できない人と思われたんじゃないか?」「嫌われたんじゃないか?」

そんなことが頭をよぎって、不安が増幅される現象を引き寄せました。

そして、もっと成長しないと、もっと仕事を完璧にこなさないとと強迫観念に突き動かされる形で仕事と向き合うことになったのです。

これ…息苦しいですよね?

いや、言うまでもなく苦しいんですよ!(笑)

他人をジャッジすることは、その基準で自分をジャッジしてるということなので結果的に自分の首を絞めることに繋がります。

お分かりいただけましたでしょうか?

自分の世界観に溺れて、苦しんでいるという滑稽な世界の出来上がりです。

価値基準の変化

そんな滑稽な世界でずーと苦しんでいた私。

何かかおかしいと気づき、このままでは私はずーっと苦しいのでは?と必死に解決策を求めました。

と同時に自分を満たすことをやり始めました。

要は、自分を癒すような行動を意識的にとることにしたんです。

そうすると、私生活が楽しくなり、仕事のことなんてどうでもよくなっていきました。(それはそれでいいのか?(笑))

自分の価値基準が変わったのです。

強迫観念により生まれた最優先事項だった仕事のランクが落ち、自分の興味が一番上にランクアップされました。

すると、とげとげしかった私の心がほぐれ、自然に他人をジャッジするということが薄れていきました。

この変化は、私にとって衝撃的でした。

許すことは愛

ジャッジしないという世界がこんなにも優しい世界だとは思いませんでした。

自分のミスも素直に受け入れられるようになり、他人のミスは気にならなくなりました。

すると、心が楽なんです。

そこに恐怖はなく、愛があることが理解できました。

自分を許すことは、弱さではなく愛なんです。

現代では、ジャッジという存在が多発しています。

それは、簡単に自分を飲み込んでしまうのもです。

でも、それは恐れから出てくるもの…。

どうか自分を許す勇気を持ってください。

愛からくるものは、私たちにエネルギーを与えてくれます。

この世界が愛で包まれることを祈っています。

まとめ

ジャッジは自分の首を絞めることにかならない。

まずは、ジャッジしている自分にきづくこと。

そして、自分を満たす(癒す)行動を行うこと。

自分を許す勇気と愛を持つこと。

愛から生まれるものは、エネルギーとなる。

今日も皆さんの時間が健やかに流れますように…。

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